今から300年以上前、江戸時代のはじめ、やっと戦のない世の中が定着しだしたころ、絵画では尾形光琳、本阿弥光悦などが登場しました。それに先立つこと数年、音楽シーンでは『俺はミュージシャンになるんだ!』といって、まだ当時新しい楽器だった三味線を片手に京都のお寺の跡取りが芸能界にデビューしました。初世都一中です。
当時京の都で盛んだったさまざまな音楽や人々の心を一つにしようといいう気持ちを込めたネーミングです。仏教の修行をとおして得た人生観や、もって生まれた音楽的センスをドッキングさせて三味線の響の中に究極のリゾート、つまり極楽浄土作りをテーマに音楽を広めてゆきました。
彼の死後も一中節として江戸で爆発的にヒットして、一中節シンガーのファッションを人々が真似したりしましたので、幕府から規制の対象になったりしたこともあるそうです。
三味線音楽としてよく知られている常磐津、清元、新内、宮薗節、富本節、豊後節などは全て一中節からスタートした流派です。ルーツとなる一中節はその中でも最も繊細で優美とされ、当時、江戸の町人の上流階級の間で最もハイソなものとしてブレークしたのもうなずけます。